大いなるバビロンは倒れた

 

黙示録14:8 また、ほかの第二の御使が、続いてきて言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」。

 

この第二の御使は「大いなるバビロンは倒れた」と宣言しました。この「バビロン」とはいったい何でしょうか。何が倒れたのでしょうか。バビロン王国でしょうか。この使命が発せられたのは、黙示録の著者ヨハネがパトモス島に幽閉されているときでした。このときバビロン王国は既に崩壊していました。もうかたちも残っていません。存在していないバビロン王国の崩壊を宣言するだけの意味があるのでしょうか。

 

このメッセージは終わりの時代に生きる教会に宛てられたものです。黙示録141節から5節までは救われた人たちの様子が書かれています。6節から13節までは最後の警告が書かれています。そして残りの14節から20節までは義人と悪人の分離の様子が書かれています。14章全体はまもなく来ようとする終末と天国に関するメッセージです。ですからこの「大いなるバビロン」は過去に存在したバビロン王国のことでなく、その王国の特徴をもった終わりの時代の組織であることは明らかです。これを終わりの時代のバビロンと呼ぶことが出来ます。

 

2002年にアドリュース大学は黙示録の注解書を発行しました。その注解書には、黙示録14:8の「倒れた」という動詞が預言的完了形を用いていると説明されています。バビロンはまだ倒れていないのですが、あたかももう倒れてしまったかのように表現することで、預言どおりに必ず実現すると、ここで強調されているのです。

 

ではこの8節に書かれた終わりの時代の「バビロン」とはいったい何なのでしょうか。4箇所の聖書の言葉からバビロンの特徴を調べてみましょう。

 

まず8節の後半部分をご覧ください。

 

黙示録14:8b その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」。

 

終わりの時代のバビロンは人々を不品行な行動に誘います。人々を神から引き離そうとします。そして彼らに神の激しい怒りを飲ませるのです。つまりバビロンは罪の誘惑者です。多くの人を滅びに引きずり込む破壊者です。ではイザヤ書21:9を開いてください。

 

イザヤ書21:9 見よ、馬に乗って二列に並んだ者がここに来ます」。彼は答えて言った、「倒れた、バビロンは倒れた、その神々の像はことごとく打ち砕かれて/地に伏した」。

 

終末時代のバビロンは神々の像を拝むところです。好みに合わせて像を刻み、それを神とし、それをもって自分たちを救おうとします。いわゆる背信した宗教団体です。偶像を拝むというかたちで神に敵対する団体です。具体的にどういった団体なのか、ここでは語っていませんが、組織を使うバビロンの力に警戒しなくてはなりません。ただ興味深いことに、黙示録17章ではこのバビロンが姦淫を犯した女性として表されています。聖書は女性を教会の象徴として用いています。ですから、バビロンは背信したキリスト教会と理解してもいいと思います。イザヤはこのバビロン的教会が必ず打ち砕かれると警告しました。次にエレミヤ51:6-8をお開きください。

 

エレミヤ書51:6 バビロンのうちからのがれ出て、おのおのその命を救え。その罰にまきこまれて断ち滅ぼされてはならない。今は主があだを返される時だから、それに報復をされるのである。

51:7 バビロンは主の手のうちにある金の杯であって、すべての地を酔わせた。国々はその酒を飲んだので、国々は狂った。

51:8 バビロンはたちまち倒れて破れた。これがために嘆け。その傷のために乳香を取れ。あるいは、いえるかも知れない。

 

終末時代のバビロンは「金の杯」のように魅力的なものです。多くの人たちは何かを期待して、バビロンに集まってきます。するとバビロンはその「杯」をもって、この世界中の人たちに偽りの教えの酒を飲ませて、狂わせてしまいます。彼らは自分が何をしているのか分からなくなるのです。バビロンにはそんな人を狂わせてしまう力を持っているのです。黙示録18:1-3をお開きください。

 

黙示録18:1 この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。

18:2 彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。

18:3 すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。

18:4 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。

18:5 彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。

 

この18章のメッセージは神の最後の訴えです。いよいよ終わりが来ようとするときに、バビロンの罪は積もりに積もって天に達します。このときバビロンは悪魔や汚れた霊やあらゆる汚れた鳥の住むところとなります。人間の住むところではなくなるのです。それなのにどうしてか多くの人々はそんなところに引き寄せられて、神の怒りを受けます。バビロンは地の王と手を結びます。そして宗教的な権力のみならず政治的な権力をも拡大していくのです。神はそこから離れなさいと警告します。罪にあずからないように、災いに巻き込まれないようにしなさいと最後のメッセージを出します。

 

こうしてみると、終わりの時代のバビロンは決してわたしたちが近づいてはいけないところであることが分かります。わたしたちを誘惑し、死に至らせます。それは背信したキリスト教会を表します。しかも「金の杯」のように魅力的なものを持っているので、多くの人たちはそこに引きつけられるでしょう。そして酒に酔ったような状態になって、自分がなにをしているのか分からなくなります。最終的には政治的な力をも利用して、力を拡大していきます。ですから神はバビロンから離れなさいと訴えるのです。

 

これまで神はわたしたち人類を救うためにあらゆることをしてくださり、これからも終わりのときまであらゆる手を尽くしてわたしたちを救おうとされるでしょう。しかし、どうしてもできないことが一つだけあります。それはわたしたちの自由の選択の領域に介入することです。わたしたちの心の中に入りこんで、無理やりに正しいことを選ばせることまではできません。救いを選ぶのはわたしたちです。他の誰にもそれだけは出来ないのです。救われるかどうかは、他人が決めるのでなく、わたしたちが決めることなのです。

 

ロトの妻はソドムの町を出て行きました。創世記19:16をご覧ください。御使いは「ロトの手とその妻の手と、ふたりの娘の手を取って、連れ出し、町の外に置」きました。そして絶対に後ろを振り返らないで山に逃げなさいと警告を与えました。ところがロトはその警告を受け入れられませんでした。彼は言いました。「わたしたちは山には逃げられません。近くの町にしてください」と。御使いはそれを許可しました。そこで彼らはその町に逃げました。ところが途中で、ロトの妻は後ろを振り向いてしまいました。そのために残念ながら塩の柱になりました。

 

救いを選ぶのは本人です。どんなに御使いが手を引っ張って、バビロンから引き離したとしても、心がバビロンの中にあるならば、その人はもう一度バビロンに引き戻されるでしょう。神にできることは救いを提供することであって、わたしたちがそれを受け入れるのです。

 

皆さんは3人のユダヤ人の青年がバビロンの王の前で宣言した言葉を覚えておられると思います。彼らは王が拝むように命令した金の像にひれ伏さなかったために、王の前に呼び出されました。彼らは王にこう言いました。

 

ダニエル書3:16「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。

3:17 もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。

3:18 たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。

 

この青年たちは真の神に仕えることを選びました。それは救われたいから仕えるのではありません。たとい救われなくても仕えるのです。結果がどうであろうとも、間違った神を拝まないのです。それが彼らの信仰の選択でした。

 

皆さんは今どんなお家に住んでおられますか。丈夫なお家ですか。この数日のうちに、お家が倒れると言われたら、家から離れますか。それとも家をまず売り終わってから、家を離れますか。おそらくまもなく倒れるということが分かれば、すぐにでもその家から離れるでしょう。

 

黙示録18:4の主のみ言葉をもう一度考えてみましょう。「わたしの民よ、彼女(バビロン)から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。」このみ言葉は主が最後に語られる警告の言葉です。どうして主はこの言葉を発せられたのでしょうか。それは救いの扉が閉められようとするギリギリのところで、まだ神を畏れる人たちがバビロンの中にいるからです。まだ迷っている人たちがいるのです。まだ現実に目覚めていない人たちがいるからです。

 

神のみ言葉に耳を傾けましょう。神こそがわれらの避け所また力であることを信じて、神の道に忠実に従ってまいりましょう。

 

詩篇46:1 神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。

 

46:2 このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。

 

46:3 たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。

 

46:4 一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。

 

46:5 神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。

 

46:6 もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、神がその声を出されると地は溶ける。

 

46:7 万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。

 

46:8 来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた。

 

46:9 主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。

 

46:10 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。

 

46:11 万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。