主を見上げる

マタイ26:52,53, 出エジプト記14

 

これまで3回にわたって終末に関する説教をしてまいりました。初めは、エルサレムの町が軍隊によって包囲されるキリストの預言から、キリストの約束を信じて終末の世を生きることの大切さを語りました。第2回目には、ノアの洪水の裁きから、終わりの時代には洪水よりももっと厳しい神の裁きがあることを語りました。第3回目には、偽キリストが終わりの時代にも現れることの危険性を語りました。

 

どれもイエスが語られた警告です。世の終わりにはたいへんなことが次から次へと起こります。そんなことを思うと、不安な気持ちになります。果たして自分は終わりの世の試練に耐えられるのだろうかと考えたりします。ルカ2126節でキリストは終わりの時代を生きる人々について次のように預言されました。「人々は世界に起ころうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。」

 

しかし、ここで覚えていなくてはならないことが一つあります。それは、この世の終わりの戦いは皆さんがするのでなく、神がなさるということです。神が皆さんに代わって戦ってくださるのです。マタイ26:52,53をお開きください。イエスがゲッセマネの園で祭司長たちの遣わした群衆によって捕らえられようとしたときに、ペトロが剣を抜いて大祭司の手下に切りかかって、片方の耳を切り落としました。そのときイエスはペトロを非難してこう言われました。

 

マタイ26:52 「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。

26:53 それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。

 

イエスはペトロに「剣をもとの場所におさめなさい」と言われました。どうしてでしょうか。戦いは神の御心でないことをご存知であったからです。それに父なる神がイエスの側についておられました。天には十二軍団以上の天使がいて、いつでもイエスのもとに飛んで来る用意ができていました。一軍団は当時6700人の兵士から成り立っていましたから、十二軍団は84百人の数になります。ものすごい天使の数です。今日の会衆の数の1230倍です。それほど大勢の天使がご自分の側にいることをイエスは知っておられました。ですから、もし戦いが必要ならば、神のほうから始められるのであって、自分のほうから剣を抜くことは愚かなことだと考えておられました。

 

おそらくこの戦いのことを一番明確の教えているのは出エジプトの出来事ではないかと思います。あのときイスラエルの人たちはエジプトを脱出するために何をしたでしょうか。エジプトの軍勢と戦ったでしょうか。いいえ。そのようなことは一切しませんでした。神がされました。エジプトに10の災いを起こしたのは神でした。エジプトのすべての初子を滅ぼしたのも神でした。イスラエルの人たちはエジプトの人たちに対して何ら手を出すようなことをしませんでした。おそらくそのようなことができなかったのだと思います。彼らは長年奴隷生活をしてきました。武器らしきものを持っていませんでした。戦闘能力はありませんでした。彼らはまったく無力な状態であっただけに、神に頼っていかなくてはならなかったのです。出エジプト記14:10-14をご覧ください。

 

出エジプト記14:10 パロが近寄った時、イスラエルの人々は目を上げてエジプトびとが彼らのあとに進んできているのを見て、非常に恐れた。そしてイスラエルの人々は主にむかって叫び、

14:11 かつモーセに言った、「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。

14:12 わたしたちがエジプトであなたに告げて、『わたしたちを捨てておいて、エジプトびとに仕えさせてください』と言ったのは、このことではありませんか。荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかったのです」。

14:13 モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。

14:14 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。

 

イスラエルがエジプトを脱出して、紅海の前にたどり着いた時、後からエジプトの軍勢が追いかけて来るのを見ました。ボートはありません。橋もありません。逃げ道は完全にふさがれていました。イスラエルの人たちは恐ろしくなって主とモーセに対して叫び始めました。「こんなことであれば、エジプトにいればよかった。」しかしそのときモーセはこう言いました。「恐れないで、固く立って、主があなたがたのためになされる救のわざを見なさい」と。災いを見つめないで、主の働きを見なさいとはっきりおっしゃいました。どうしてでしょうか。それは14節に書かれているように、主が代わりに戦ってくださるからです。彼らのなすべきことは、黙するのです。主に信頼するのです。19節と20節をご覧ください。

 

出エジプト記14:19 このとき、イスラエルの部隊の前に行く神の使は移って彼らのうしろに行った。雲の柱も彼らの前から移って彼らのうしろに立ち、

14:20 エジプトびとの部隊とイスラエルびとの部隊との間にきたので、そこに雲とやみがあり夜もすがら、かれとこれと近づくことなく、夜がすぎた。

 

「神の使い」と「雲の柱」はイスラエルを守りました。敵の軍勢が近づいて来ないようにしました。1321節には、昼は雲の柱をもって、夜は火の柱をもって、主がイスラエルを導いたと記されています。1424節では、主が火と雲の柱のうちからエジプトの軍勢を見たと記されています。つまり、主なる神が雲の柱のうちにおられて、イスラエルを敵の軍勢から引き離して守られたのです。続けて21節と22節を見ましょう。

 

出エジプト記14:21 モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。

14:22 イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。

 

モーセが海の上に手を差し伸べた時、神はイスラエルの人々の目の前で紅海に道を作られました。強い東風を起こして、海を退かせて、水を二つに分けられました。イスラエルのすべきことはただひとつ、海の中のかわいた地に足を踏み入れて、歩くだけでした。たったそれだけです。後のことは神がすべてしてくださいました。

 

神の働きと人間の働きとの違いを見分けることは大切なことです。わたしたちは神の働きのことまで心配してはなりません。神の働きまで介入してはなりません。神の働きは神に任せるのです。24節と25節をご覧ください。

 

出エジプト記14:24 暁の(こう)に、主は火と雲の柱のうちからエジプトびとの軍勢を見おろして、エジプトびとの軍勢を乱し、

14:25 その戦車の輪をきしらせて、進むのに重くされたので、エジプトびとは言った、「われわれはイスラエルを離れて逃げよう。主が彼らのためにエジプトびとと戦う」。

 

エジプトの軍勢は不思議な現象を感じ取りました。戦車の輪が進まなくなりました。穏やかだった自然界が荒れてきました。彼らは自分たちが神と戦っていることに気づき始めました。恐ろしくなって、イスラエルから離れて逃げようとしました。しかしもう手遅れでした。27節をご覧ください。主はご命令を出されて、二つに分けられた海を元通りに戻されました。そしてエジプトの軍勢は海の中へと沈んでいきました。

 

ここに大切な教訓があります。それは服従です。終わりの時代を生きるわたしたちには、いろいろな危険にさらされることがあります。義務を果たすことが困難に思えることがあります。前方にも後方にも大きな障害物があって、どうしたらいいか分からなくなることがあります。それでもわたしたちは神の声を信じて、それに従って前進するのです。なぜなら、戦いは神がなさることだからです。

 

服従するには、神に目を向けることが大切です。紅海を前にして、イスラエルの人々は神とモーセに向かって不満を並び立てました。災いだけに目を注いでいたからです。しかし、モーセは神の救いの業を見なさいと言いました(出エジプト記14:13)。イスラエルはその言葉を信じました。そして真っ二つに分かれた紅海を渡りました。こうして彼らは救われたのです。

 

皆さんはおそらく一度はCNタワーに登られたことがあると思います。あのCNタワーにはGlass Floorがあります。あの上を皆さんは平気で歩けますか。わたしは下を見てしまったら歩けません。わたしはCNタワーには3回か4回ほど行ったことがあります。そのたびにガラスの上に立ってみるのですが、どうしても足がすくんでしまいます。そのガラスが強いので絶対に落ちないのは分かっていても、どうしても下を見てしまうので、身体が硬直して歩けなくなります。あの上を歩くには、絶対に下を見ないことです。それと同じように、わたしたちが終わりの世を生き抜くためには、降りかかってくる災いに思いを傾けてはなりません。勝利者であるイエス・キリストに目を向けるのです。

 

中国にRobert Wongというクリスチャンがいました。彼は信仰のゆえに共産党の刑務所に入れられました。初めはひとりだけのところに4年間監禁されました。それから15年間強制収容所で働かせられました。その間はほとんど家族の面会が許されませんでした。ただし、彼は毎月中国語で100文字だけの手紙を書くことが許されました。100文字の漢字で、どれだけの文章が書けるでしょうか。わたしの説教の原稿で言えばわずか2行分です。

 

そこでRobertは家に送る短い手紙の中に「讃美歌115」という言葉を入れました。母親はそれを受け取った時、それが何を表すのか分かりませんでした。しかし、中国語の讃美歌の115番を開いたときに、そこに”Give Me the Bible”と書いてありました。それで息子が聖書を欲しいと言っているのが分かりました。その手紙を受け取った時には、規律が緩やかになって、毎月の家族の面会が許されていました。そこで母親は石鹸の荷物の中にこっそりと新約聖書を入れて、息子の手に渡すことができました。Robertはその聖書を手にしてから、幾日も勇気付けられました。暗い人生のなかにあっても、暗闇を見ずに、イエス・キリストをしっかりと見上げて生きる信仰を持ち続けることができました。

 

サタンはわたしたちの焦点をキリストから災いに向けさせようとします。しかし、わたしたちはしっかりと天の御座におられるキリストを見上げるのです。今あることよりも将来のことに目を向けるのです。現在のことよりも、もっと先の永遠の世界に目を向けるのです。病気のことよりも癒される御国に目を向けるのです。この世の貧しさよりも天の豊かさに目を向けるのです。この世の問題よりも、すべてが解決される御国に目を向けるのです。今見えるものに目を注がず、今見ることのできない永遠の喜びをしっかりと見るのです。わたしたちはキリストが将来に約束された祝福を見つめることによって、今の時をしっかりと立つことができるのです。

 

ヨハネは幻の中で主の約束を見ました。

黙示録21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。

 

天の祝福を約束されたイエス・キリストをしっかりと見つめて、この地上の信仰の生涯を全うしようではありませんか。