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惑わされないように マタイ24:3-14,23-27 詩篇119:9-16
イエスがエルサレムの滅亡を預言されたとき、弟子たちはこの世の終わりが近いと感じました。そこでイエスに「世の終わりにはどんな前兆がありますか」(マタイ24:3)とたずねました。彼らは終わりのしるしを知りたいと望みました。終わりのしるしが分かれば、それなりの準備ができると考えたのです。ところがこの弟子たちの質問に対するイエスの最初のお答えは、「人に惑わされないように気をつけなさい」という言葉でした。これこれが終わりのしるしですよとは言われませんでした。それよりもむしろ、人にだまされないように気をつけなさいと言われました。あたかも終わりのしるしを知ることよりも、騙されないように気をつけなくてはならないもっと大切なものがあるかのようないいかたです。
皆さんは今までに騙された経験がありませんか。おそらくあると思います。騙されたら悔しいでしょう。お金を少々取られるくらいならまだいいでしょうが、自分の人生をそれによって台無しにしてしまったならば、本当に悔やんでも悔やみきれないと思います。ではイエスはどんなことに気をつけなさいと言われたのでしょうか。マタイ24:3-8をご覧ください。
マタイ24:3 またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。 24:4 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。 24:5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。 24:6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 24:7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 24:8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
ここでイエスは二つのことに用心しなさいと言われました。一つは偽キリストの出現です。もう一つは終わりのしるしのようでしるしでないしるしです。世の終わりが近づくと、戦争と戦争のうわさを聞くようになります。実際にあちらこちらで戦争が勃発します。しかし、それは終わりのしるしではないとイエスは言われました(6節)。それは起こらねばならないことであって、まだ終わりは来ていないのです。国同士や民族同士の戦いがあっても、まだこの世の終わりではないのです。あちこちで飢饉や地震があっても、まだ終わりが来たのではないのです。すべてこれらは産みの苦しみの初めなのです(マタイ24:8)。このことを決して誤解してはなりません。
イエスが昇天されてからエルサレムが滅亡するAD70年までに4つの飢饉がありました。この4つの飢饉はローマ皇帝のClaudiusが治めていたわずかAD41年から54年の間に起こりました。そのなかの一つは使徒行伝11:28-30に記録されています。これはAD46年のパレスチナでの出来事です。
地震もこのころ地中海地方で頻繁に起こりました。AD46年か47年にクレタ島で地震がありました。AD51年にはローマで、AD60年にはラオデキアで、AD63年にはポンペイで、AD68年には再びローマで地震がありました。
戦争ではアフリカ北西部のMauretania(AD41-42年)やBritain(AD43-61年)やArmenia(AD60年代の初期)やパレスチナ(AD66-73年)の地域でこの時期に集中的に勃発しました。しかし、このような出来事はこの世の終わりが来たしるしではないのです。産みの苦しみの初めに過ぎないのです。
現在は1世紀のころよりももっと頻繁に地震が起こっています。戦争も慢性的に続いています。毎日のようにたくさんの命が失われています。また二酸化炭素の増加が異常気象を引き起こして、世界中のあちらこちらで自然が破壊されていっています。しかし、これも終わりのしるしのように見えて、実はまだ終わりのしるしではないのです。イエスはもっと気をつけなくてはならないしるしがあると言われました。それは何でしょうか。
それは偽キリストの出現です。弟子たちが終わりのしるしについて質問した時に、イエスが最初に言われた言葉は何であったのかもう一度考えてみてください。それは「人に惑わされないように気をつけなさい」(マタイ24:4)という言葉でした。どんな「人」でしょうか。「わたしがキリストだ」と宣言するような人です。
当時の歴史家のヨセフスはひとりのエジプト人がキリストと称してユダヤ人を惑わしたことを記録しています。彼は冒険好きなユダヤ人を荒野に集めて集会をもちました。そのとき何千人という人たちが集まって、このエジプト人をメシアとしてあがめました。彼らはそのエジプト人がエルサレムをローマから救ってくれると信じました。ところがローマ軍がその集会を妨害して、両者は戦争を始めるのですが、結果的にこのエジプト人はどこかに逃げてしまい、この偽キリストに従ったユダヤ人のほとんどは命を落としてしまいました。
このような偽キリストは現代の世の中にいます。例えば2002年にロシアの小さな町で交通違反取り締まり警官をしていたSergei Toropが「わたしはキリストだ」と唱え始めました。現在何千人もの信徒がいます。
つい先月のことですが、CBSニュースで話題になったJose Mirandaという人物がいます。わたしは彼が自ら「わたしは人になったイエス・キリストだ。再臨したキリストだ」と言っているのをインタネットのテレビニュースでみました。彼は「わたしはこの世が一度も経験したこともないような最も大きな政府の大統領になるだろう」とも大胆に宣言します。
イエスは偽キリストについて次のように警告を与えています。マタイ24:23-27をご覧ください。
マタイ24:23 そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。 24:24 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。 24:25 見よ、あなたがたに前もって言っておく。 24:26 だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、部屋の中にいる』と言っても、信じるな。 24:27 ちょうど、稲妻が東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。
イエスは偽のキリストが現れることを警告しました。そのキリストは稲妻のようなかたちで大きな音をたてて現れるのではありません。静かに個人的なかたちで現れます。人々は「見よ、ここにキリストがいる。あそこにいる。荒野にいる。部屋の中にいる」と言ったりします。また大いなるしるしと奇跡を行って、クリスチャンたちを惑わそうとします。イエスはそのような偽キリストを「信じるな」とはっきりと言われました。
ではどうやって偽キリストを見分けることができるのでしょうか。偽キリストの恐ろしさは何なのでしょうか。テサロニケ第二2:2-4をご覧ください。
テサロニケ第二2:2 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。 2:3 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。 2:4 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。
ここに偽キリストの3つの特徴が示されています。1つは彼が「不法の者」であるということです。律法を守りません。Jose Mirandaの教えにはまさにその特徴が見られます。彼は次のように説教しました。「もう罪はこの世にない。神はあなたを罪人とみない。完全な人間だ。悪魔は滅びてしまった。」これは彼の言葉そのものです。偽キリストの第2の特徴は、自分を神以上の存在であるかのように高めるのです。Jose Mirandaは「わたしはナザレのイエスよりももっと大きなことをするだろう」発言しました。最後に第3の特徴は、偽キリストが必ず滅びることです。彼は「滅びの子」です。興味深いことに、Jose Mirandaは「わたしを殺そうとして、わたしは決して死なない」と言っています。
もし教会がこのような偽キリストの教えを信じて従ったとしたら、教会はどうなっていくでしょうか。この世には罪がない。これも罪でない。あれも罪でない。罪を指摘する律法もない。罪に誘惑する悪魔も滅びてしまった。怖いものは誰もいない。そしてここに神よりも偉い牧師がいる。もしこんなことをまともに信じたら、教会は好きなことをやり始めて、どんどん神から離れていくのではないでしょうか。偽キリストは恐ろしい存在です。
今わたしたちは終わりの世を生きています。これからも複数の偽キリストが現れるでしょう。「わたしはキリスト」だと宣言するでしょう。しかし、覚えていてください。本当のイエス・キリストは別の人間の姿を取って来られるのではありません。わたしの姿を借りて現れるのでもなく、Wellingtonの姿を借りて現れるのでもありません。2000年前に天に引き上げられたときと同じ姿をもって、もう一度現れるのです。しかも、「天使のかしらの声と神のラッパ」を鳴り響かせながら、現れるのです。誰も真のキリストの来臨を否定することができないのです。
イエスは「惑わされないように気をつけなさい」と弟子たちに警告されました。皆さんは簡単に惑わされるほうですか。気をつけてください。詩篇119:9-11をご覧ください。
詩篇119:9 若い人はどうしておのが道を/清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。 119:10 わたしは心をつくしてあなたを尋ね求めます。わたしをあなたの戒めから/迷い出させないでください。 119:11 わたしはあなたにむかって/罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。
偽キリストに惑わされることのないように、心のうちに御言葉を蓄えてください。特に青年の皆さん、気をつけてください。青年のころは、どうしてかなかなか大人の話を聞こうとしません。自分の意見のほうが正しいと思ってしまいます。しかし、そこに落とし穴があるのです。気をつけてください。わたしは早いころに父を亡くしました。母はひとりでわたしと二人の兄を育ててくれました。わたしは母に甘えていたのか、親の言うことをあまり聞きませんでした。わたしがもっと素直に親の言うことを聞いて、聖書をもっとまじめに勉強して、もっと聖書の教えを実行していればよかったと時々思います。マタイ7:21をご覧ください。
マタイ7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
イエスは単に道徳的にすぐれた方でいらっしゃるだけではありません。単に優しいお方でいらっしゃるだけではありません。病気を癒すお方でいらっしゃるだけではありません。イエスはわたしたちに永遠の命を与えられる神でいらっしゃいます。わたしたちの罪を赦す権威をもった神でいらっしゃいます。死人をも生き返らせる権威をもった神でいらっしゃいます。わたしたちの心を清めてくださる神でいらっしゃいます。そのような力強いイエス・キリストがお語りになったみ言葉に信じて、それを守ってください。決して惑わされないように気をつけてください。そのときわたしたちは栄光の姿で来られるイエス・キリストを、喜びを持って迎えることが出来るでしょう。
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