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数え切れないほどの群衆
今朝は皆様とご一緒に黙示録7章について考えて見ましょう。ここには、神を信じる人たちがどれほど祝福されているかが記録されています。
1. 四人の御使い 黙示録7:1 この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。
神の僕たちには四人の御使いがいます。彼らは地の四隅に立って、地の四方の風が吹かないように引き止めておられます。四方の風とは何でしょうか。旧約聖書では、風はよく破壊的な力を象徴します(エレミヤ4:11-13;23:19-20;イザヤ66:15-16)。それが東西南北の四つの方角から吹いてきます。つまり、誰もその嵐から逃げることができないのです。しかし、四人の御使いはそのような恐ろしい災いがやって来ないように、今その嵐を引き止めているのです。
皆さんはこの世の終わりが本当に近づいていると感じていませんか。世界経済がちょっとしたことで崩壊してしまうのではないかと不安を感じている人がいます。貧しい人たちが仕事を求めて、どんどん町に移動していって、都会の人口が増えてきています。世界全体の人口も増加しています。世界の平均温度が上昇しています。金持ちはどんどん金持ちになって、貧しい人はどんどん貧しくなっています。生物生態のシステムが崩れてきています。きれいな水や食料が不足しています。病気が進化していって、抗生物質ではなかなか効かなくなってきています。原理主義者たちはあちこちで自爆というかたちでテロ活動を行っています。聖書を信じない人たちでさえ、今わたしたちが異常な時代に生きていると感じています。そしてこれからもっと大変なことが起こるでしょう。しかし、四人の御使いたちは今それが起こらないように四方の風を引き止めています。
ではどうして四方からの災いを、御使いは引き止めているのでしょうか。それはひとりでも多くの人たちが滅びずに悔い改めてほしいからです。「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」(ペトロ第二3:8-9)。ですから四人の御使いが四方に立っているのは、本当に神の憐れみです。神の忍耐です。神の愛であります。
2. 生ける神の印 黙示録7:2 また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、 7:3 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。
神の僕たちには印が押されると、ここに書かれています。誰が押すのでしょうか。「もうひとりの御使」です。この御使いは「日の出る方」つまり東から上ってきます。東は神の臨在される場所を表します。エデンの園は東にありました(創世記2:8)。神のお栄光は東から神殿に訪れました(エゼキエル43:2)。博士たちは東の方でキリストの誕生を示す星を見つけました(マタイ2:2,9)。メシアは「日の光」(ルカ1:78)、「明けの明星」(黙示録22:16)と呼ばれています。マタイ24:27では人の子が東の方角から現れると預言されています。ですから、この東からやって来た御使いは、神からのご命令によって、印をもってきたと理解できます。
ではこの印は何を表しているのでしょうか。それは神の所有権です。神の家族の一員であることの印です。その印はどんな災いがやって来ても消されることはありません。その印はわたしたちの救いを保証するのです(エゼキエル9:1-7;出エジプト記12:21-23)。
使徒パウロはこのようなことを「約束された聖霊の証印をおされた」(エペソ1:13)と言っています。わたしたちがイエスを信じて聖霊を受けると同時に、天の御国を受け継ぐ保証の印をもらうのです。その印は手付け金のようなものです。家を買うときに手付け金を銀行に払います。それを一旦払ってしまえば、全額を払い切るのがまだ25年先であっても、もうその家は自分の物となります。わたしたちもイエスを信じるならば、聖霊を受けることで、手付け金のように、御国の市民権をすぐに手に入れるのです。東からやって来る御使いは、このような印を持っているのです。そして、神の僕たち一人一人にその印を付けているのです。四方の風がやって来るまでに、御使いはその働きをずっと続けるのです。
では、どのような僕たちにこの印が押されるのでしょうか。ヨハネはそのことが知りたくて御使いにたずねます。答えは次の通りです。
3. 十四万四千人 黙示録7:4 わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。
ヨハネは自分の耳を疑ったのではないかと思います。どうして印を受ける人たちが、イスラエルの12部族だけなのか。どうして異邦人が入っていないのか。どうして十四万四千人だけなのか。皆さんはこの4節の言葉を字義通りに信じますか。わたしが神学校にいたころ、これを真剣に信じている学生がいました。救われるのがイスラエルだけだと信じていませんでしたが、この十四万四千の数を本当に信じていました。ですから彼は教会に対しても牧師や神学校の教授に対しても非常に批判的な目で見ていました。皆さんはどのように理解しておられますか。この4節が象徴的な表現であると理解するには、おもに4つの理由があります。
第一に、イスラエルの12部族のうち10部族はアッシリア軍の侵略によって壊滅しました。紀元前の8世紀のことです。生き残ったほとんど10部族はパレスチナから追放されて、中近東のいろいろな国々に散らばっていき、他の民族の中に溶け込んでいきました。彼らは自分たちのアイデンティティを失いました。ヨハネの時代までに生き残ったのは、残りの2つの部族、つまりユダ族とレビ族です。その時には、10の部族はもはや存在していませんでした。ですから、ヨハネが御使いから聞いたのは、明らかにイスラエル民族の血統ではあるはずがありません。むしろ神の民、あるいは教会を表す象徴的表現でありました。新約聖書全体はキリストを信じる者こそが真のイスラエルだと語っています(ローマ2:29;ガラテヤ6:16)。
第二に、この7章に書かれた12部族の順序は、創世記49章に記録された本来の12部族の順序と違っています。 * ヤコブの長子ルベンの一族が最初に来ていません。その代わりにユダ族が初めに来ています。救い主がユダ族から現れたからでしょうか。 * ダン族がイスラエルから外されています。おそらくダンが偶像礼拝の中心的な場所であって、エルサレムの神殿と競い合っていたからだと思います(列王記上12:29-30;列王記下10:29)。その代わりにヨセフの長男のマナセ族が入っています。 * ですからこの7章に書かれた12部族は、救い主を礼拝する霊的なイスラエルである教会を象徴するものと理解したほうがいいと思います。 *
第三に、神の僕たちの数を字義通りに十四万四千人とするならば、数があまりにも少なすぎます。2006年度でセブンスデー・アドベンチストの世界人口が1千4百万人に達しました。十四万四千人の100倍です。しかも、毎日平均して約3,000人の人たちが世界中のどこかでバプテスマを受けて、セブンスデー・アドベンチストに加わっています。救われる数が十四万四千人だけだというのは、どうしても受け入れられません。それに初めから救われる人の数が定められているというのもおかしいです。十四万四千の数字は象徴的に理解すべきものです。
第四に、この数字は神のために戦うすべての教会を表す象徴的な数字です。十四万四千は12×12×1,000です。12は旧約時代のイスラエル部族の数であり、新約時代の使徒の数でもあります。新エルサレムには12の門があり、それらの門には12のイスラエル部族の名が書かれています。都の城壁には12の土台があり、12の使徒の名前が記されています。つまり12×12の144は旧約時代と新約時代のあらゆる神の民を表しているのです。次に、1,000という数字は旧約時代のイスラエル軍の1部隊の数でした(民数記31:4-6;サムエル記上8:12)。この数字は神のために戦う兵士の姿を象徴するものです。ですから、これらのことを総合的に考えてみますと、神の印を受けて救われる十四万四千人は、神のために戦う忠実な教会を表しています。9節をご覧ください。
4. 数え切れないほどの大ぜいの群衆 黙示録7:9 その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、
ヨハネは幻の中で神の僕たちを実際にこの目で見ます。耳から聞いていたものとまったく状況が違っていました。彼らの数は十四万四千人ではありません。目の前には数え切れないほどの大勢の群衆がいました。彼らはイスラエル部族だけではありません。あらゆる国民、部族、民族や、国語のうちから選ばれた人たちがいました。皆が救いを象徴する白い衣を着ています。勝利を象徴するしゅろの枝を手にしています。御座と小羊の前で主を讃美しています。ヨハネが信仰をもって聞いたものと実際に見たものとは違っていることに、きっと驚いたことでしょう。
まもなくこの人類の歴史は終わろうとしています。大きな災いが来ようとしています。しかし四人の御使いはその災害が今来ないように必死で引き止めています。それは多くの人たちが神の印を受けるためです。たくさんの人たちが悔い改めて、天の御国に入れるようになるためです。イスラエルの民族だけではありません。すべての国民、部族、民族、言語を語る人たちも、みんなが悔い改めて、御国にあがるのを神は待っておられるのです。その救われる人の数は十四万四千という実際の数字ではありません。数え切れないほどの数です。皆さんはイエスを信じる信仰によって、今その大きな神の家族の一員です。皆さんにはその信仰を最後までしっかりと持ち続けていただきたいと思います。今日という日を大切にして、一日一日神に自分の罪を悔い改めて、イエス・キリストを受け入れてください。
昨日、Barrieである知人の葬儀に出席してきました。彼は昨年の3月まで英語教室を手伝ってくださったKatherineのご主人のRonです。彼は自宅で車の下にもぐって修理をしていたのですが、車を支えていたRampsが壊れて、車の下敷きになってしまったのです。逃げることができませんでした。非常に残念なことです。
誰にとっても愛する人と死別することは大変に辛いことです。ただKatherineにとって一つの慰めは、数日前ご主人と一緒に礼拝をして、ふたりとも救いの確証を神からもらい、心がとても平安になったことでした。
今サタンはさまざまなかたちでわたしたちの魂を潰そうと働きかけています。夫婦の関係、親子の関係、学校との関係、会社との関係、友人との関係など、ありとあらゆる関係を悪くして、わたしたちの人生をめちゃくちゃにしようと企てています。
そのようなときに、大切なのはイエスによる神との和解です。心を砕いてイエスに祈るのです。毎日犯してしまう罪をイエスの前で正直に告白するのです。イエスを救い主として受け入れるのです。赦しをいただくのです。生きた神の印をいただくのです。イエスこそがこの世の勝利者であられます。この方こそがわたしたちが終わりの時代を生きるのに一番大切なお方です。
イエスは言われました。
ヨハネ16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
勝利者である主イエスを信じてまいりましょう。そして天の御国で、数え切れないほどの大勢の群衆に混じって、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手にして、主のみ名を高らかに讃美しようではありませんか。
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