やがてきたるべき者

黙示録1:1-8

ヨハネは晩年に近づいたころ主なる神から幻を受けました。その幻で当時の7つの教会と各時代のすべての教会がどうしても知っていなくてはならない大切なメッセージが語られました。そしてそのメッセージを聞いて行うものは祝福されると約束されました。皆さん、聖書が語る言葉を聞いて行うものは幸いだと、実際に祝福を約束しているのは、聖書66巻の書物の中で黙示録だけであることにお気づきでいらっしゃいますか。聖書はみんな大切な書物ですが、特に黙示録は努力して読まなくてはならない書物なのです。

今日は1章の最初の1節から8節までをご一緒に学んでみましょう。この箇所は黙示録がどのようにして何の目的のために書かれたかが記されています。3つに分けられます。

11節―3節:序論

14節―6節:挨拶

17節―8節:テーマ

黙示録1:1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。

1:2 ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。

黙示録はイエス・キリストから啓示されたものであり、イエス・キリストを啓示したものです。神はすぐにも起こるべきことをまずキリストに表し、キリストは御使いをとおしてそのことをヨハネに伝えました。その伝えられたものの中にはキリストの再臨とキリストの悪に対する勝利とキリストによる御国の建設が示されています。黙示録は単なる未来の出来事のタイムテーブルではありません。主イエス・キリストの無限の愛と権力と正義を証ししたものなのです。

黙示録1:3 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。

黙示録を朗読する人と、これを聞いて、その教えを守る人たちに祝福が約束されています。では、ひとりの人が聖書を朗読して、それを聞く人たちがいる。そのような場所とはどういったところでしょうか。そうです。それは礼拝の場所です。礼拝の場所で実際に黙示録が読まれて、会衆がそれを聞くのです。そして祝福が与えられるのです。どうして黙示録が礼拝においてそれほど重要なのでしょうか。黙示録が時の近づいていることを語っているからです。何の時でしょうか。答えは黙示録22:7に示されています。「見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである。」キリストの再臨が近づいているから、黙示録の言葉がもっと礼拝で読まれなければならないのです。

では次に挨拶の言葉を読んでみましょう。ここで黙示録を与える神がどのような方であって、黙示録を聞く者たちがどういう人たちであるかを考えてみましょう。

黙示録1:4 ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、

1:5 また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、

1:6 わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

この書物は「アジヤにある七つの教会」に向けて書かれたものです。ここで言われているアジアとは、ローマ帝国の時代に属州であったアジア州のことで、現在の小アジア、いわゆるトルコです。しかし、七は黙示録で完全性を表す象徴的な数字ですから、各時代のすべての教会、わたしたちを含むすべての信仰者に宛てられた書物と理解することができます。

ではこの黙示録を書いた神はどのような方なのでしょうか。まず、今も昔もこれから後もずっと存在してくださる方です。これからの将来に起ころうとする場にも立ち会ってくださって、わたしたちを守ってくださる方でいらっしゃいます。

次に神は「御座の前にある七つの霊」とともに働かれます。「七つ」とは聖霊の数ではなく、聖霊の働きの普遍性を表しています。つまり、神は聖霊とひとつになってこの書物を読むあらゆる人たちの心に働いてくださるのです。

そして神はイエス・キリストとも共に働かれます。その方には「忠実な証人」と「死人の中から最初に生れた者」と「地上の諸王の支配者」の3つの称号があります。法廷で証人は真実を語りますが、それと同様にイエスは「忠実な証人」としてわたしたちについて真実を語ってくださいます。わたしたちの行いもわたしたちの思いも正しく語ってくださいます。サタンについても、その真実を暴露してくださいます。またご自身のことについても「忠実な証人」として真実を語ってくださいます。

また、イエスは「死人の中から最初に生れた者」という称号をもっておられます。イエスが死人から最初に復活されたことを意味しているのではありません。現に、イエスの復活の前に、死んだヤイロの娘と(マルコ5:21-43)、ナインのやもめの息子と(ルカ7:11-17)、ラザロ(ヨハネ11)の3人の兄弟姉妹を、イエスは復活させられました。「最初に生まれた者」とは、もっとも大切な者という意味です。聖書の時代では、家族の中で最初に生まれた者は、家の主だった財産を受け継ぐことになっていました。家の長男は兄弟のなかで一番大切であったのです。つまり、「死人の中から最初に生まれた者」とは、死から復活したものの中でもっとも大切な者という意味です。イエス・キリストはまさにその最も大切な復活を経験された方でいらっしゃいます。なぜなら、その方の復活がわたしたちの将来の復活を保証しているからです。

また、イエスには「地上の諸王の支配者」という3番目の称号も与えられています。それはこの世の悪を裁く権威を表しています。この世のあらゆる矛盾を解決する切り札をイエス・キリストが握っておられるのです。この方に信じて従えば、もう後の問題はみんなこの方が解決してくださるのです。

このようにイエスは真実を語り、よみがえりを経験し、この世の一切の権威をもっておられます。父なる神はこのイエスと協力して黙示録を語られました。ですから、この書物は必ずや信頼に足るものであると言っても過言ではありません。

さて、5節の後半部分と6節をご覧ください。ここにはイエス・キリストの3つの称号に対する3つの大切な働きが記されています。それは、わたしたちを愛することと、十字架の血によって罪から解放することと、わたしたちを御国の民、祭司とすることです。イエスの愛は単に「愛している」と言うだけのものではありません。わたしたちのためにご自身のいのちをささげて、わたしたちを罪から解放するものでした。そしてわたしたちに祭司の働きに任命してくださるのです。祭司の主な働きは何でしょうか。それは祈ることです。自分の罪の赦しだけ祈るのではありません。家族の赦しのために、友人のために、教会のために、政府で働く人たちのために、周囲の人たちのために、罪の赦しを祈るのです。イエスはわたしたちをそのようなすばらしい祭司の働きに選んでくださいました。このような方が黙示録を書いてくださったのです。ですから、皆さん、黙示録のページを開いたとき、周りの人たちのために祈りながら読んでみませんか。7節と8節をご覧ください。

黙示録1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

1:8 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。

ここに黙示録の中でもっとも重要な約束が書かれています。それはキリストの再臨です。このとき、すべての人は肉眼でこの光景を見るようになります。その中でも、キリストを「刺しとおした者たち」が特別によみがえって、「彼(キリスト)を仰ぎ見る」と預言されています。キリストを刺しとおした人たちには、キリストの処刑に加担した者、特に大祭司カヤパも含まれています。あらゆる人たちの目がこの再臨の光景を見るようになるのです。あらゆる人たちが神のなさることが正しいことだと認めるようになるのです。そしてキリストを拒んだ人たちは、その光景を見て胸を打って嘆くのです。

どうして神はこのイエスの再臨をこれほどまでに確信をもって宣言されるのでしょうか。それは神ご自身がそのことをよくご存知だからです。神は「アルパであり、オメガ」であられます。人類のはじめと終わりを同時にご覧になることができるのです。イエスの再臨を前もってご覧になることができるのです。また神ご自身が「やがてきたるべき」(8節)お方であられるのです。やがてきたるべきとは、神ご自身もイエス・キリストと共に来臨されるということです。イエスはこのことを大祭司カヤパに向かって断言しました。「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者(父なる神)の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」(マタイ26:64)。キリストの再臨は父なる神の来臨でもあります。人類の歴史上最大の出来事でもあります。それですから、この黙示録を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいであると約束されました。

皆さんは人生に行き詰まりを感じた時、年配者のところに行って助言を求めた経験はありませんか。おそらくあるでしょう。どうして年配者に助けを求めるのですか。答えは簡単です。長い人生経験を通してたくさんの知恵を身につけているからです。

しかし、創造主なる神は、年配者よりもはるかに勝った人生の先輩者であられます。あらゆることを知り尽くしておられます。過去のことも現在のことも未来のこともすべてを見通しておられます。そしてこの神が黙示録をお書きになりました。ご自身の来臨を予告されました。わたしたちはもう一度今の自分自身の生き方が神に喜ばれるものであるのかどうか反省してみることにいたしましょう。

ヨーロッパの小さな国のある貴族の家庭に一人の息子がいました。(「それはいつですか、柴田栄治著」から参照)彼は友達とけんかをして、彼を傷つけ、その場からいなくなりました。その傷つけられた友人は相手の両親を相手取って訴訟を起こし、その両親はほとんどの財産を失ってしまいました。父親は名誉を傷つけられ、地位も失ってしまい、もう息子と縁を切ることにしました。

一方、母親のほうは息子の帰ってくるのをずっと待ちます。しかし、何年待っても帰ってきません。彼女はこれが原因で病に倒れてしまいました。亡くなる数日前、彼女は夫を枕元に呼んで、「一生のお願いだから、わたしの頼みを聞いてください」とお願いします。そしてこう言います。「もし息子のマイケルが帰ってきたら、あなたの口から赦すと言ってください。もし帰ってこなければ、捜し出して、あなたの口から赦すと言ってください。それまではわたしの葬式は要りません。」こう言って彼女は亡くなっていきました。

一人残された父親は残った財産を使って、息子を捜し始めます。まず自分の国からはじめ、次に隣の国、そしてまたその隣と、ヨーロッパの国々を捜しに回ります。それからアジア諸国を回り、イギリス、アメリカ、カナダへとやって来ます。カナダの金鉱に着いたときには、もうあれから15年が経っていました。歳は取り、持っていたお金もほとんど底をついていました。彼はその金鉱のどこかに息子がいるということを聞きつけると、最後の賭けをします。息子に渡そうと思っていた先祖伝来の時計を売って、ペンキを出来るだけ買って、至るところの電信柱に「マイケル、お父さんはお前を愛しているぞ」と書きはじめました。

そしてある日のこと、息子のマイケルが酒場にやってきた時に、そのお父さんのペンキの字を見つけるのです。彼は信じませんでした。しかし、その字を気をつけてみると、父親の懐かしい字にそっくりではありませんか。そこで今度は息子のほうがお父さんを捜し始めるのです。そしてふたりは15年ぶりに再会するのです。そのときお父さんはもう衰弱しきって、動くことさえ出来ませんでした。しかし、息子に会えたことを喜んでこう言いました。「マイケル、お父さんはお前を愛しているよ。お母さんが死ぬ前に、わたしの口からお前を赦したと言ってくれと頼まれたんだよ。だから今、お父さんはこの約束を果たすために、ここまで尋ねてきたんだ。お前を赦すよ、マイケル。」お父さんはこう言って亡くなりました。

親は自分の子供のことを決して忘れることがありません。どんなに遠いところに行ったとして、捜し当てるだけの強い愛を持っています。

皆さんは天国がこの地上からどれほど遠いか考えたことがあると思います。もちろん距離からしてとっても遠いでしょう。また神との関係においても遠いでしょう。しかし、神は天国からわたしたちのところにまで来られます。約束を果たすためです。黙示録で神は約束されたのです。イエス・キリスト共に必ず地上に降りて来られます。その日を信じて、心の備えをいたしましょう。

黙示録1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

1:8 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。