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コルネリオの見た幻
先日のAYキャンプで湖に泳ぎに行ったとき、とてもしっかりとしたお母さんにお会いしました。そのかたは自分の小さな息子を抱き上げて、水の上に思いっ切り投げるのです。子供は泣きながらも無我夢中で犬掻きをしながらお母さんのほうに戻ろうとします。戻ってくると、お母さんはもう一度息子を思いっ切り遠くまで投げ飛ばすのです。子供はまた泣きながらお母さんのところへ必死で戻ろうとします。そのお母さんはこれを何度か繰り返していました。そんな光景を見ていて、子供に泳ぎを教えようとするお母さんの毅然とした態度に、えらくわたしは感動しました。
神は時には何か辛い経験を通して、大切なことを教えようとされます。み言葉の学びを通してだけでなく、実際の生活の中で教えられるのです。体験で学ばなくてはならないことも多くあるのです。ですから、今日神が何を教えようとされるか、自分に問いかけるようにしたいものです。そうやって、神の働きに心を向けるのです。神は毎日何をわたしたちに教えようとされます。
今日は使徒行伝10章の前半から、コルネリオが天使に出会った体験についてご一緒に考えて見ましょう。
使徒行伝10:1 さて、カイザリヤにコルネリオという名の人がいた。イタリヤ隊と呼ばれた部隊の百卒長で、 10:2 信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈をしていた。
コルネリオは「イタリヤ隊」と呼ばれる部隊の百卒長でした。百卒長とはその名が示すとおり、百人の兵隊を指図する指揮官です。社会的に高い地位にありました。ですから比較的裕福な暮らしをしていました。彼は信心深く神を敬っていました。おそらくユダヤ人との接触から、神のことを知り、神を礼拝し、貧しい人々を憐れむ心を培っていたのだと思います。この彼の生き方は家族全体にも良い感化を与え、一家そろって真の神を敬うようになりました。必然的にこの正しい生活はユダヤ人や異邦人のあいだでも評判が良くなりました。
コルネリオの住んでいたカイザリヤは大きな港町でした。もともとは小さな町でしたが、ヘロデ大王が紀元前25年から12年間の年月をかけて大々的な改修工事をしたことから見事な町に変わりました。そして彼はこの町をローマ皇帝のアウグストス・カイザルに敬意を表すために「カイザリヤ」と改めました。またここはユダヤのローマ総督府であり、政治的にも軍事的にもたいへん重要な町でありました。ですから、このようなところにコルネリオが派遣されたからには、彼がローマからたいへん信頼されていたと考えてもおかしくないと思います。
さて、ある日の午後3時ごろのことでした。コルネリオは家で祈りをささげていました。すると突然、彼は幻を見ました。その幻の中で、ある人が目の前に現れて、「コルネリオ」とはっきりと呼びかけるのです。彼はまったく知らない人から自分の名前を正確に呼ばれたことにびっくりしました。それだけではありません。10章30節をご覧ください。コルネリオは、この目の前に立っていた人が「輝いた衣」を着ていた、後で説明しています。それはまったく普通ではありません。この世の中で「輝いた衣」を着るような人は誰もいません。天からの訪問者以外にそのような衣を着る人はいません。彼は恐ろしくなって、「主よ、何でございますか」と言いました。すると、天使は次のように応えました。4節から6節をご覧ください。
使徒行伝10:4「あなたの祈や施しは神のみ前にとどいて、おぼえられている。 10:5 ついては今、ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンという人を招きなさい。 10:6 この人は、海べに家をもつ皮なめしシモンという者の客となっている」。
天使はコルネリオに一つのことを命じました。それはペトロを家に招待することです。今、彼は皮なめしシモンのところにいました。先回の説教でも説明しましたが、当時皮なめし職人はたいそう嫌われていました。なぜなら動物の死体を取り扱う仕事をしていたからです。職人は動物の死体から皮を剥ぎ取って、まずそれを水の中に浸けて汚れを洗い落とします。そのときひどい悪臭がするそうです。時には動物の毛を除去するために、生皮を犬の糞尿の中に入れることもあったと言われていますから、その臭いは堪ったものではありません。それにモーセの律法によれば、動物の死体に触ることは儀式上身を汚すでありましたから、ユダヤ人は極度にこのようなところに行くことを嫌っていました。しかし、ペトロはそのような皆が敬遠する所にしばらく宿泊しました。
コルネリオは身分の高い人でした。とてもいい暮らしをしていました。どんな思いで天使からこの命令を受け止めたのでしょうか。ペトロがどんな人か知りませんでした。ただ知っているといえば、彼が皮なめしの職人の家に居候していることだけです。そのようなところに滞在する人を、彼は喜んで招待しようと思ったでしょうか。一瞬躊躇したのかもしれません。しかし、この命令が明らかに天からものであったので、彼は神からのお告げを信じて従おうと決心しました。10章7-8節をご覧ください。
使徒行伝10:7 このお告げをした御使が立ち去ったのち、コルネリオは、僕ふたりと、部下の中で信心深い兵卒ひとりとを呼び、 10:8 いっさいの事を説明して聞かせ、ヨッパへ送り出した。
コルネリオはペトロに使いを送るにあたって2人の僕と信頼できる兵卒を1人選びました。そして彼ら3人に天使から言われたことをすべて説明しました。おそらく彼らに誤解を招きたくなかったのでしょう。8節の「説明する」というギリシャ語はexegesamenosと言って、非常に事細かにはっきりと説明することを意味します。この言葉は現在、英語で”Exegesis”「釈義」として使われています。わたしは神学を勉強していた頃、釈義のクラスを取りました。短い聖書の言葉を選んで、そこから神がわたしたちに伝えようとされたことを、文脈を大切にしながら、あらゆる方法を使って調べて、それを解説していくのです。ほんの短い聖句のために5ページ以上の紙を使って説明していきます。そんなことができるかと思いましたが、それをやってのけました。これが釈義です。ですから、このコルネリオは自分の信頼できる3人の助け手に非常に丁寧に説明したのだと思います。自分が幻を受けたことも、天使がどんな方であったかも、ペトロがどこにいて、どうしてもこの人を家に招待しなくてはならないことを、時間を十分かけて説明したのでしょう。こうしてコルネリオは彼らをヨッパに派遣することになりました。
神の前にわたしたちは何も隠すことはできません。自分の名前も、自分の職業も、自分の住所も、すべてを神はご存知です。ちょうど、神がコルネリオを名前で呼びかけられたように、またペトロの名前とその所在地を具体的にコルネリオに説明されたように、神はあらゆることを知っておられるのです。また、コルネリオの祈りと施しを覚えておられたように、わたしたちが毎日ささげる祈りも、わたしたちが人々に行う奉仕も、すべてを心に留めておられるのです。神にとっては「そのようなことは知らなかった」と言えるものは何もないのです。詩篇139:13-18をお読みします。
詩篇139:13 あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。 139:14 わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。 139:15 わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。 139:16 あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日の/まだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。 139:17 神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。 139:18 わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。
神が皆さんのすべてのことを良くご存知であられるということは、本当にありがたいことです。そうではないでしょうか。なぜなら、神は誤解されるようなことがないからです。すべてのことを公平に正しく判断してくださるからです。今いったい何が必要であるかも良くご存知だからです。この世で今何が最も価値があるかもよくご存知だからです。愛がなければ、そのような完全な知識をもつことはできないのではないでしょうか。
以前、神奈川県にエリザベス・サンダース・ホームという施設がありました。これは第二次世界大戦後の1948年に外国人と日本人女性とのあいだに生まれ、周囲に見捨てられた混血の孤児を育てるために建てられた孤児院でした。創設者は澤田美喜さん。お名前をお聞きになった方もおられると思います。当時の混血孤児に対する偏見と差別は大変厳しいものでありましたが、彼女はこのホームで2千人以上もの孤児を育てました。
さて、このホームで、ある日のこと、こんなことが起こりました。雨がしとしとと降る中、一人の若い女性が小さな巻き毛の赤ちゃんを抱いてホームを訪れました。彼女はその子を澤田さんに渡すと、直ぐに走り去りました。彼女はその子の生年月日も名前も聞く暇もありませんでした。気がつくと、その子の手の先や足の先が冷えていました。あわてて医者に診てもらうと、その子が肺炎にかかっていて、明日まで命が持つかどうかも分からないということです。ただし、ペニシリンがあれば助かるというのです。当時は、ペニシリンは日本だけでなくアメリカでも大変貴重な薬で、簡単に手に入るものではありません。どうしたらいいか分からずに、澤田さんはただ主に祈るだけでした。
ちょうどそのとき、アメリカ大使の奥さんがアメリカから送ってくださった物資が届きました。澤田さんは何気なくその箱を開けると、びっくりしたことに二本のペニシリンが中に入っているではありませんか。どうしてそこに入っていたのかわかりません。こうして、彼女はその薬で赤ちゃんの命を助けることができました。
それから数年が経ったある日、澤田さんはその赤ちゃんがたくましく成長した写真を持って、アメリカ大使の奥さんにお礼を言いに行きました。すると、奥さんはこう言いました。「ペニシリン?わたしはそんなものを入れませんでした。アメリカの法律で、貴重薬を救援品の中に入れることは禁じられていますから。わたしは電話でケアの会社に直接あなたの番地を言って、送らせただけです。」そのとき、澤田さんは不思議な神のお導きを感じ、首を垂れて感謝したのです。 『黒い肌白い心』澤田美喜著(260ページから263ページの要約)
神はわたしたちを創造してくださいました。ですから創造主なる神こそが、わたしたちのことを一番よくご存知でいらっしゃいます。わたしたちが何を考え、何をしようとしているかも、何がなくて困っているかも、わたしたちのことをすべてご存知です。ちょうどコルネリオがひたむきにささげた祈りや貧しい人に施した贈り物が、神にちゃんと覚えられていたように、わたしたちの行いも思いも、みんな神の前に明らかにされているのです。ですから、わたしたちは何も心配する必要がありません。
詩篇139:17 神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。
神の思いはちょうど空のように広大です。あらゆることを知り尽くし、あらゆることを記憶にとどめることができるほど、広大です。その偉大な神の前に、わたしたちは厳粛に首を垂れ、神のみ旨に従うようにいたしましょう。
コルネリオは神のみ旨に従い、使徒ペトロを呼ぶために信頼できる僕と兵士を彼のもとに遣わしました。わたしたちも神に対し畏れる思いをもって、服従するようにいたしましょう。
詩篇139:17 神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。
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